2009年5月27日水曜日

幼年期の終わり

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))
福島 正実

早川書房 1979-04
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この本を読んで思い出した映画がある。

それは、ジョディー・フォスター主演の『コンタクト』という作品だ。ジョディーが演じる電波天文学者エリナー博士が、異性人から送られてきた宇宙船の設計図を元に造られた宇宙船で宇宙を旅するといった内容なのだが、今でも忘れられないのはエリナー博士が宇宙を旅している時の、そのあまりにも美しい景色の眺めだ。見ていて”はっ”と息を飲んでしまう。私も一度でいいから宇宙を旅してみたいとは思うが、はたして近い将来そういう日は訪れるのだろうか(笑)?

それにしても、この本の内容は物凄いというかとんでもない発想で書かれている。よくこんな、大胆で奇抜な発想が思いつくものだ。本当に凄い。でも、ありえなくはないとは思う。人類がどこへ向かっているのかなんて誰にも分からないのだから。

先日、『孤島』という本を読んだが、その本の中で”孤島”というのは”島”ではなく”我々”のことを指していて、上手い表現だな~と思っていた。

この本にも似たような表現があって偶然だな~と思って少し感激した。↓

~あらゆる人間の心を、大海に囲まれた島のようなものだ、と想像してごらんなさい。島は一つ一つ飛び離れているように見える。しかしじっさいには、海底の岩層によって、みな一つにつながりあっている。もし海が消失したら、それは同時に島の終わりでもあります。それらはみな、一つの大陸の一部となるのです。しかし、そのとき、それぞれの独立性は失われてしまう~

~ただ個人だけが孤独になりうるのだ―ただ人間だけが。個人という最後の垣がとりはらわれてしまえば、孤独は個性の消滅とともに消えていくだろう。無数の雨滴が大海に呑みこまれるように~

なんだかんだいっても、やはり”孤独”というものは大切です。”人類はもはや孤独ではないのだ”なんて冗談じゃない(笑)。

他にもいくつか気になったフレーズがあったが、いちばん印象に残ったものを残そう。

~理解しようとしてはいけない―ただあるがままを見守ればいいのだ。理解はその後に訪れるか、もしくはまったく訪れないかだ。~

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