2025年2月18日火曜日

No excusesの旅②


進化というのは、

状況に応じて、必然的に起きるもののような気がする。


述語的なものは、プラチックである。

主語的なものは、プラクシスである。


もし、自分が新幹線に乗っていて、

富士山がたまたま窓に現れたとしたら、

実際に富士山が見えるのであって、

実践的に富士山を見るのではない。

いや、

実際に富士山が見えた後に、

実践的に富士山を見るのだ。


西洋人の主語的なパワーに、

昔から強烈に惹かれている自分がいる。

述語的なものは、

良くも悪くも、状況に合わせてしまう。

状況をチェンジさせるパワーは、

長い目でみれば、述語的なものにある。

が、それには途方もない時間がかかる。

一個人の人間では間に合わない。

すぐに状況をチェンジさせる必要がある場合は、

主語的なもの、状況に合わせないパワーに分がある。

だが、生命は常に人間の理解を超えて、

状況に合わせようとすることを忘れてはならない。


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