進化というのは、
状況に応じて、必然的に起きるもののような気がする。
述語的なものは、プラチックである。
主語的なものは、プラクシスである。
もし、自分が新幹線に乗っていて、
富士山がたまたま窓に現れたとしたら、
実際に富士山が見えるのであって、
実践的に富士山を見るのではない。
いや、
実際に富士山が見えた後に、
実践的に富士山を見るのだ。
西洋人の主語的なパワーに、
昔から強烈に惹かれている自分がいる。
述語的なものは、
良くも悪くも、状況に合わせてしまう。
状況をチェンジさせるパワーは、
長い目でみれば、述語的なものにある。
が、それには途方もない時間がかかる。
一個人の人間では間に合わない。
すぐに状況をチェンジさせる必要がある場合は、
主語的なもの、状況に合わせないパワーに分がある。
だが、生命は常に人間の理解を超えて、
状況に合わせようとすることを忘れてはならない。
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