意味されてしまったものを見せられた人は、ものを考えなくなる。
意味、それ自体に留めて置かなくてはならない。
山本哲士先生の本は、そんな本だ。
だから、とても難しい。
わたしは、まだまだ全く、山本哲士先生の本を読めていない。
意味に留めた本を読むことは、脳をめちゃくちゃに鍛えることなのだ。
読む、ということは自分の脳を、自分で鍛えるということなのだ。
ただ書いてあることを、「そうなのか、なるほど」という次元ではない。
読む、ということは、そこに書かれてあることを、自分の脳で、自分で、理解していく作業になる。
「なるほど」で読むのは、知っただけ。
まったく自分の脳が、鍛えられていない。変化なし。
これでは、変われようがない。
というか、意味に留めた本を書ける人が、滅多にいないのだと思う。
独自性をどれだけ高められるかに、かかっている。
ちなみに、今書いているこの記事は、意味されたものだ。
この記事を読んだところで、どうしようもない。
でも、何かの気づきにはなるかもしれないと、魂が囁いているのだ。
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