それまで、存在しなかったものが、生まれた瞬間に、心は誕生する。
この世界は、物質で出来ている。
(ということは、物質で出来ていない世界も確実に存在することになる)
心も例外ではない、
心も物質で出来ている。
つまり、人間の認識できる形で、存在しているということだ。
いずれにせよ、それ自体だけでは、
私の理屈でいえば、心は、存在できない。
不思議な感覚だが、、、
分かることがある以上、分からないことも同時に存在する。
この世界の、絶対的なルールそのひとつは、
それ自体では、成り立たないということだ。
それが、もっとも根源的なもののような気がしている。
ただ、それは言葉には還元できない。
言葉にした時点で、既にそれは真理とはかけ離れている。
わたしが、
あるいは、あなたが、
心から、本当に求めているものを、見つけられたとき、
(わたしは、物心ついた時から、一体なにを求めてきたのだろうか?)
(足りなくなった、己の一部を求めているのだろうか?)
心から、本当に求めているものを、見つけようとしている、
そんな自分を見つけられたとき、
わたしは、場所になるのかもしれない。
そして、
わたしを、客観的に観ている。
わたしを、生かす為、
わたしと上手く付き合っていく為に。
つまり、
わたしの意志は、宇宙の意志なのだ。
宇宙には、意志がある。
宇宙にも、文明がある。
それが、心だ。
そういうもの、だとしかいいようがない。
心は、
名詞で語れるものと、
形容詞でしか語れない部分とが、
一緒になっている。
心を言葉で、正確に表現することは、できない。
なぜなら、
物質を物質で捕らえることは、できないからだ。
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