-Dreamer blog-
魂かぎる空蝉ゆるる夏風に木々はざわめき心波立つ
2025年6月28日土曜日
2025年6月11日水曜日
New intelligence
ディスポディシオンの本質は、
そこに潜んでいる、
新たな共通項を見つけることにあります。
例えば、
ここに、日本人、イギリス人、フランス人、中国人、
アメリカ人、インド人、アイスランド人、アフリカ人、ブラジル人
などがいたとして、
国別で分けることもできますし、
もし、男女が混ざっていれば、性別で分けることもできますし、
学歴で分けることもできますし、
IQで分けることもできますし、
職業別で分けることもできますし、
気が強い人、気が優しい人で分けることもできますし、
同じ趣味の人で分けることもできますし、
髪の色や瞳の色や肌の色で分けることもできますし、
年齢で分けることもできますし、
宗教観で分けることもできますし、
その分類は、
新たな共通項さえ見いだせれば、可能となります。
新たな”知”の共通項は、
ディスポディシオン!!
シニフィアンが答えを導き出す
ということです。
そして、
自分が考えるのではなく、
人間が考えるのでもなく、
デプラスマン!!
シニフィアンが答えを導き出すのです。
2025年2月21日金曜日
No excusesの旅③
個というのは、
ある意味、使命である。
それは、もしかしたら氏名であるのかもしれない。
そして、その使命は、
他の使命と、相互依存する関係にある。
それが場所である。
場所には、必ず相互依存の関係が働いている。
月には場所はないと思うが、
もし、月に人間が二人以上降り立ったとしたなら、場所が生まれる。
(一人であれば物理的な場所でしかない)
もし、その人間が、男同士、あるいは、女同士だったなら、
繁栄はできないが、一定期間は生存してゆくことはできる。
その為に、お互いは、お互いを利用し、協調し、使命を果たすことになる。
場所が、、、
相互依存の関係が、、、
もしなければ、破滅が待ち構えているだろう。
2025年2月18日火曜日
No excusesの旅②
進化というのは、
状況に応じて、必然的に起きるもののような気がする。
述語的なものは、プラチックである。
主語的なものは、プラクシスである。
もし、自分が新幹線に乗っていて、
富士山がたまたま窓に現れたとしたら、
実際に富士山が見えるのであって、
実践的に富士山を見るのではない。
いや、
実際に富士山が見えた後に、
実践的に富士山を見るのだ。
西洋人の主語的なパワーに、
昔から強烈に惹かれている自分がいる。
述語的なものは、
良くも悪くも、状況に合わせてしまう。
状況をチェンジさせるパワーは、
長い目でみれば、述語的なものにある。
が、それには途方もない時間がかかる。
一個人の人間では間に合わない。
すぐに状況をチェンジさせる必要がある場合は、
主語的なもの、状況に合わせないパワーに分がある。
だが、生命は常に人間の理解を超えて、
状況に合わせようとすることを忘れてはならない。
2025年2月16日日曜日
No excusesの旅①
2025年1月19日日曜日
2024年5月16日木曜日
デプラスマン
この記事を書いている人物には、
ふたつの状態が、存在している。
確かに、
デプラスマンが起きれば、
その人物の持っている感覚が、ガラリと変化する。
何が根本的に違うのかと言えば、
世界から受ける影響が、自分と、どう関係しているのか
ということに尽きる。
例えば、この記事を書いている日付は、西暦2024年5月16日である。
言葉を持ち、文化の中で、日々生活を送っている人にとっては、
何ひとつ疑うことのない、当たり前のことである。
でも、それは嘘である
という視点も存在するのだ。
それを可能にするパワーが、現実世界と切り離された世界にはある。
限界を突破できる力だ。
いつの日か、それが常識になる日が来るかもしれない。
ただ、それにはおそらく、あと、1000年はかかるだろう。
2023年10月28日土曜日
無限の可能性
山本哲士先生から、季刊iichikoの浅利誠 追悼号をいただいた。
柄になく涙が零れた。
Dreamerは、浅利誠さんには会ったことはないけれど、
ずいぶんと影響を受けている。
言語の奥深さ、インスピレーションを多分に与えてくれた方だ。
浅利誠さんの動画を改めて見直して、
”テイルトコロ”の重要さに、気づかされた。
わたしたちは、存在しているという運命の流れに逆らうことはできるのか?
運命を超えて、運命を知りうることはできるのか?
サルがもし言語を超えて、”テイルトコロ”という概念を理解したならば、
もうそのサルは、サルでなくなる。
なぜなら、ただ流れに従うだけの、愚か者ではなくて、
流れに逆らう、無限の可能性に気づいたのだから、、。
”テイル”と”テイルトコロ(トコロの部分)”は、時間の流れのベクトルが真逆なのだ!
(テイル⇒⇐トコロ)
わたしたちは、歩んでいるところ、
無限の可能性に向かって。
運命に逆らって。
山本哲士先生、浅利誠 追悼号を寄贈してくださり、心よりお礼申し上げます。
2023年9月22日金曜日
ばしょ
矢野雅文さんが、おっしゃった”調和”ということ。
環境(自分の周りに存在するすべてのもの)と調和するには、
世界を俯瞰した視点が、必要になる。
それは、”わたし”という固有の視点ではなく、
宇宙という概念を超えた、”ばしょ”という普遍の視点である。
そして、その”ばしょ”の視点から、
”わたし”という存在をどう動かしていったらいいのかを考えるのである。
”ばしょ”は時間を超越している。
つまり、現在だけではなく、過去と未来を見通したうえで、
成される思考である。
...と書いたが、”わたし”と”ばしょ”が空間的に上手く混ざらないと
非常に困難な思考である。
2023年7月7日金曜日
シニフィアンの種類
浅利誠さんの講義をふと思い出して、インスピレーションを得た。
日本語の動詞は、たったの一文字で意味を成すことに気が付いたのだ。
例えば、「立つ」という言葉は、一応二文字だが、
「た」の一文字に、「立つ」の意味のほとんどが籠められている。
「つ」は、補助でしかない。
日本語は、ひらがなの一文字ずつがシニフィアンなのだ。
一文字ずつにちゃんと意味がある。
英語などは、アルファベットの一文字ずつがシニフィアンになってない。
一塊でシニフィアンになり、一塊で意味を成す。
日本人は、英語や他の外国語を聞いたときに、
どうしても不可避的に、一つ一つの音に意味があると思い込んでいるのだ。
(例えば、 red [レーッド] を レ・ッ・ド で捉えている)
この思い込みのせいで、
英語や他の外国語が宇宙人の言語であるかのように感じられてしまい、
英語や他の外国語をまったく理解できないのだ。
2023年2月11日土曜日
インスピレーションの場所
非自己は、現実世界にはいない。
非自己は、妄想世界にいる。
人が何かを考えたり、思ったりすることはすべて妄想だが、
そういう次元ではなく、
まったく別の世界をつくりあげる程の、強力な妄想がある。
その領域に足を踏み入れながらも、
その領域に足を踏み入れているという自覚を忘れないこと。
妄想世界は、自己がインスピレーションへと変わる場所だ。
2022年12月26日月曜日
2022年7月7日木曜日
生命を支える資本パワー
自らを自らが助ける力、、それが資本。
それは、他者を助ける力にもなりえる。
(自分〈作られたもの〉というシニフィエではなくて、自ら〈作られていないもの〉というシニフィアン)
この認識に気がつけば、どこからでもやり直しが出来る。
現実を現実として受け止め、見て見ぬふりをしないこと。
勇気を持つこと。
挑戦をすること。
一歩を踏むこと。
2022年3月29日火曜日
愛について
わたしが、今まで、人生で、何を学んで来たのかといえば、
たった一言で足りる。
それは、人の心、、その人の魂、を学んで来たと言える。
人生で、もっとも学ばなくてはいけないのは、心や魂だ!
生命社会で起こる、あらゆる現象は、厳密に言えば、全て戦略と言える。
私たちが送っている、この日常は、あらゆる戦略の上で成り立っている。
愛というのは、誰に取っても、もっとも重要で、もっとも価値ある戦略だ。
無条件の愛というのは、もっとも強力な戦略になる。
でも、無条件の愛は、まず己に、注がなければならない。
自らの心を大事にする。
自らの心を大切にする。
それが、ものごとの基本である。
わたしは、自らの心を大切にしてやれなかった、大事にしてやれなかった。
そこに、すべての過ちがあった。。
2022年3月10日木曜日
2022年3月8日火曜日
2022年3月4日金曜日
2022年2月18日金曜日
2021年12月31日金曜日
利益とは
2021年12月20日月曜日
『二つの紫陽花』
かわら鳩
次に次にと降り立ちて
群青いろの川になりつつ
あじさゐの葉の雨蛙
ふるさと思ひ捕まえるかな
忙しき
人に見せばや碧色に
ゆらゆら揺るる秋の海辺を
2021年12月19日日曜日
英語の音が聴こえた日
子供の頃から洋楽が好きでよく聴いていたが、
同じ曲を何万回と聴いても、曲を覚えられなかった。
ほとんどは雰囲気で聴いていたと思ふ。
小学生の頃に通っていた、英会話教室の外国の先生の話しも、ちんぷんかんぷんだった。
今まで、洋画を字幕で観るときは、字幕に集中していて、英語の音などまったく聞いていなかった。
でも、今、音だけは結構聞けるのだ。
(単語の意味はほとんど分からないが)
英語の音が聴こえるようになったのは、今年になってからで、
ある日、寝起きにyoutubeで、英語の講義を聞いていたら、
前日までは全然聞こえなかったはずの英語が、ストレートに耳に入ってきたのだ。
とっても不思議な体験だった。
まるで、日本語を聞いているかのように聞こえたのだ。
英語がまったく聞けなかった時と、英語が聴こえるようになった今で、
決定的に違う点がひとつだけある。
それは、心の中で、英語を呟いているということである。
今では、英語を聞くと同時に、心の中で英語を呟いていて、
よほどくせのある発音は呟けないので、やはり聞けてない。
でも、呟ける音は聞こえるのだ。
なぜ呟けるようになったのだろうか?
もしかしたら、寝ぼけていたことが原因かもしれない。
2021年6月25日金曜日
エネルギーが生まれる条件
欲が生まれ
欲を満たそうとする時
エネルギーが生まれる
根底にあるのは生命の繁殖
あふれこぼれた有り余る生命を他の生命が取り込む
人間のすべきことは
他の生命の繁栄を邪魔しない環境を維持すること
一人で満たせない欲をみつけること
2021年5月23日日曜日
2021年4月10日土曜日
非自己
非自己というのは、非常に特殊な状態で、意識して、非自己に成れるものではありません。
わたしが、非自己について語れるのは、
わたしが、非自己を体験したからです。
ある宗教者が、ブッダの涅槃について、語られていました。
確かに、言っていることは間違いありません。
その通りでした。
でも、その人は、結局なにも理解していないのです。
知識として知ることと、体験として知ることとは、
次元がまったく違うのです。
それを体験していなければ、ただ、ブッダの涅槃の絵を眺めているのと同じです。
わたしの分析で語るとすれば、非自己というのは、
完全なる自意識の死です。
自意識が死ななければ、非自己は現れません。
無意識とは、まったく違います。
意識はハッキリありますが、自意識が死んでいる状態です。
それは、いわゆる悟りと言われるものでしょうか。