2024年5月16日木曜日

デプラスマン

 

この記事を書いている人物には、

ふたつの状態が、存在している。


確かに、

デプラスマンが起きれば、

その人物の持っている感覚が、ガラリと変化する。


何が根本的に違うのかと言えば、

世界から受ける影響が、自分と、どう関係しているのか

ということに尽きる。


例えば、この記事を書いている日付は、西暦2024年5月16日である。

言葉を持ち、文化の中で、日々生活を送っている人にとっては、

何ひとつ疑うことのない、当たり前のことである。


でも、それは嘘である

という視点も存在するのだ。


それを可能にするパワーが、現実世界と切り離された世界にはある。

限界を突破できる力だ。


いつの日か、それが常識になる日が来るかもしれない。

ただ、それにはおそらく、あと、1000年はかかるだろう。


2023年10月28日土曜日

無限の可能性

 

山本哲士先生から、季刊iichikoの浅利誠 追悼号をいただいた。

柄になく涙が零れた。

Dreamerは、浅利誠さんには会ったことはないけれど、

ずいぶんと影響を受けている。

言語の奥深さ、インスピレーションを多分に与えてくれた方だ。


浅利誠さんの動画を改めて見直して、

”テイルトコロ”の重要さに、気づかされた。

わたしたちは、存在しているという運命の流れに逆らうことはできるのか?

運命を超えて、運命を知りうることはできるのか?


サルがもし言語を超えて、”テイルトコロ”という概念を理解したならば、

もうそのサルは、サルでなくなる。

なぜなら、ただ流れに従うだけの、愚か者ではなくて、

流れに逆らう、無限の可能性に気づいたのだから、、。


”テイル”と”テイルトコロ(トコロの部分)”は、時間の流れのベクトルが真逆なのだ!

(テイル⇒⇐トコロ)

わたしたちは、歩んでいるところ

無限の可能性に向かって。

運命に逆らって。


山本哲士先生、浅利誠 追悼号を寄贈してくださり、心よりお礼申し上げます。


2023年9月22日金曜日

ばしょ

 

矢野雅文さんが、おっしゃった”調和”ということ。

環境(自分の周りに存在するすべてのもの)と調和するには、

世界を俯瞰した視点が、必要になる。

それは、”わたし”という固有の視点ではなく、

宇宙という概念を超えた、”ばしょ”という普遍の視点である。

そして、その”ばしょ”の視点から、

”わたし”という存在をどう動かしていったらいいのかを考えるのである。


”ばしょ”は時間を超越している。

つまり、現在だけではなく、過去と未来を見通したうえで、

成される思考である。


...と書いたが、”わたし”と”ばしょ”が空間的に上手く混ざらないと

非常に困難な思考である。


2023年7月7日金曜日

シニフィアンの種類

 

浅利誠さんの講義をふと思い出して、インスピレーションを得た。

日本語の動詞は、たったの一文字で意味を成すことに気が付いたのだ。

例えば、「立つ」という言葉は、一応二文字だが、

「た」の一文字に、「立つ」の意味のほとんどが籠められている。

「つ」は、補助でしかない。

日本語は、ひらがなの一文字ずつがシニフィアンなのだ。

一文字ずつにちゃんと意味がある。

英語などは、アルファベットの一文字ずつがシニフィアンになってない。

一塊でシニフィアンになり、一塊で意味を成す。


日本人は、英語や他の外国語を聞いたときに、

どうしても不可避的に、一つ一つの音に意味があると思い込んでいるのだ。

(例えば、 red [レーッド] を レ・ッ・ド で捉えている)

この思い込みのせいで、

英語や他の外国語が宇宙人の言語であるかのように感じられてしまい、

英語や他の外国語をまったく理解できないのだ。


2023年2月11日土曜日

インスピレーションの場所

 

非自己は、現実世界にはいない。

非自己は、妄想世界にいる。


人が何かを考えたり、思ったりすることはすべて妄想だが、

そういう次元ではなく、

まったく別の世界をつくりあげる程の、強力な妄想がある。

その領域に足を踏み入れながらも、

その領域に足を踏み入れているという自覚を忘れないこと



妄想世界は、自己がインスピレーションへと変わる場所だ。




2022年12月26日月曜日

楽しむこと



生活を楽しむということが、

生きている時間であり、

生命の本来の営みなのです。


生命ある限り一分一秒でも無駄にせず、

一呼吸でさえ楽しむのです。


2022年7月7日木曜日

生命を支える資本パワー

 

自らを自らが助ける力、、それが資本。

それは、他者を助ける力にもなりえる。

(自分〈作られたもの〉というシニフィエではなくて、自ら〈作られていないもの〉というシニフィアン)

この認識に気がつけば、どこからでもやり直しが出来る。


現実を現実として受け止め、見て見ぬふりをしないこと。

勇気を持つこと。

挑戦をすること。



一歩を踏むこと。


2022年3月29日火曜日

愛について

 

わたしが、今まで、人生で、何を学んで来たのかといえば、

たった一言で足りる。


それは、人の心、、その人の魂、を学んで来たと言える。


人生で、もっとも学ばなくてはいけないのは、心や魂だ!


生命社会で起こる、あらゆる現象は、厳密に言えば、全て戦略と言える。

私たちが送っている、この日常は、あらゆる戦略の上で成り立っている。


愛というのは、誰に取っても、もっとも重要で、もっとも価値ある戦略だ。

無条件の愛というのは、もっとも強力な戦略になる。


でも、無条件の愛は、まず己に、注がなければならない。


自らの心を大事にする。

自らの心を大切にする。


それが、ものごとの基本である。


わたしは、自らの心を大切にしてやれなかった、大事にしてやれなかった。

そこに、すべての過ちがあった。。


2022年3月10日木曜日

               運命

 

運命は、皆違う。

しかし、記憶することはできる。


運命は、皆違う。

しかし、共に笑うこともできる。


2022年3月8日火曜日

シニフィアンの本質

 

人間とは、新しい秩序を創る動物。

それを可能にしているのは、言葉。

人間の祖先は、凄い発明を成した。

言葉を発明した時点で、他の種の生物は、人間に敵わなくなる。

人間よりも、遥か前に地上に進出した植物の戦略さえ、人間は見抜くのだ。

言葉は、真理を超える。


シニフィアンは、煙の様に、あまりにも儚く、瞬く間に消えるもの。

それを、言葉は、音や形に残して、長く持続させる。

儚さを、もっと言葉にできれば、人間には、まだまだ可能性がある。


2022年3月4日金曜日

魂に響いた一曲

 

Ace of Base - Lucky Love.

中学生の時、限られたお小遣いの中で、選びに選び抜いたエースオブベイスのアルバム。

どの曲も、当時の私にとっては、深すぎて理解が届かなかった。

そんな中で、このLucky Loveは、一番聴きやすくてお気に入りだった。

リンの甘くて深い声。

イェッニーの力強い声。


Dreamerを繋ぐメロディ。

こころは軽い。



自分を認識する方法

 

反射ー

反射で、認識できる。

それは、鏡でなくてもいい。

それは、自分が心から好むもの。


普段、自分はなにを観ている?

普段、自分はなにを聴いている?


気を付けなくてはいけません。

それが、自分なのですから。


2022年2月18日金曜日

            あなたの心をそばに

 

これだけは決して忘れてはいけない

ふたつの状態が同時にある素晴らしさを

限りのない動きは

ふたつの状態が同時にあることで生まれる


わたしが光の時あなたは影になる

あなたが光の時わたしは影になる


世界から離れつつ世界をそばに置くこと

ユニークであると共に常識的であること

これだけは決して忘れてはいけない

ふたつの状態が同時にある素晴らしさを



2021年12月31日金曜日

利益とは



利益は、喜びから生まれて、相互に作用するもの。

相互に作用しなければ、意味がないし、成り立たない。


喜びを与えるには、強い信念がなくてはならない。

(自ら与えなくてはならないし、すぐに相互作用するものでもない)

強い信念が、よりよい社会空間(人と人との直接の関係、絆)を作ってゆく。


それは、人類全体の利益になる。


2021年12月20日月曜日

            『二つの紫陽花』


儚しや

仄かに光る町景色を

眺めては経(ふ)る黒髪の君よ


かわら鳩

次に次にと降り立ちて

群青色の川になりつつ


夏の日の

あじさゐの葉の雨蛙

ふるさと思ひ捕まえるかな


バナナ虫

てんとう虫の寝床かな

まっすぐに咲くタンポポの花


忙しき

人に見せばや碧色に

ゆらゆら揺るる秋の海辺を


七色に

咲く紫陽花と一色に

咲く紫陽花といづれまされり

2021年12月19日日曜日

英語の音が聴こえた日

 

子供の頃から洋楽が好きでよく聴いていたが、

同じ曲を何万回と聴いても、曲を覚えられなかった。

ほとんどは雰囲気で聴いていたと思ふ。


小学生の頃に通っていた、英会話教室の外国の先生の話しも、ちんぷんかんぷんだった。


今まで、洋画を字幕で観るときは、字幕に集中していて、英語の音などまったく聞いていなかった。


でも、今、音だけは結構聞けるのだ。

(単語の意味はほとんど分からないが)


英語の音が聴こえるようになったのは、今年になってからで、

ある日、寝起きにyoutubeで、英語の講義を聞いていたら、

前日までは全然聞こえなかったはずの英語が、ストレートに耳に入ってきたのだ。

とっても不思議な体験だった。

まるで、日本語を聞いているかのように聞こえたのだ。


英語がまったく聞けなかった時と、英語が聴こえるようになった今で、

決定的に違う点がひとつだけある。


それは、心の中で、英語を呟いているということである。


今では、英語を聞くと同時に、心の中で英語を呟いていて、

よほどくせのある発音は呟けないので、やはり聞けてない。

でも、呟ける音は聞こえるのだ。


なぜ呟けるようになったのだろうか?

もしかしたら、寝ぼけていたことが原因かもしれない。


2021年6月25日金曜日

エネルギーが生まれる条件

 

欲が生まれ

欲を満たそうとする時

エネルギーが生まれる


根底にあるのは生命の繁殖

あふれこぼれた有り余る生命を他の生命が取り込む

人間のすべきことは

他の生命の繁栄を邪魔しない環境を維持すること


一人で満たせない欲をみつけること


2021年5月23日日曜日

関係性

 

何かと関係を持つということは、

それに対して、何らかの幻想を必ず持つ。


それは、必然的に社会をつくりだしてゆく。

関係性(関係と幻想)が社会を産み出すのだ。


幻想とは、

その人にとって、最も重要で、最も大切なもの。


関係とは、

共通の価値観であり、

共通の言語(お互いに分かることばやボディーランゲージ)だ。


人と人が関係するのは、信頼によるべきだ。


2021年4月10日土曜日

場所

 

自分の立っている足元。

それが、場所です。


非自己


非自己というのは、非常に特殊な状態で、意識して、非自己に成れるものではありません。

わたしが、非自己について語れるのは、

わたしが、非自己を体験したからです。


ある宗教者が、ブッダの涅槃について、語られていました。

確かに、言っていることは間違いありません。

その通りでした。

でも、その人は、結局なにも理解していないのです。

知識として知ることと、体験として知ることとは、

次元がまったく違うのです。

それを体験していなければ、ただ、ブッダの涅槃の絵を眺めているのと同じです。


わたしの分析で語るとすれば、非自己というのは、


完全なる自意識の死です。


自意識が死ななければ、非自己は現れません。

無意識とは、まったく違います。

意識はハッキリありますが、自意識が死んでいる状態です。

それは、いわゆる悟りと言われるものでしょうか。


2021年3月14日日曜日

思考は、体全体でするもの

 

問題は、明らかに、思考が、体で成されていないことです。

思考は、体の動きと直結しているはずです。

動きは、思考と気づくべきです。


思考=内側から動くもの




2021年3月13日土曜日

               空


ことばの見当たらぬ世界では、

相手のことばが強く響き渡る。


意味を分かろうとする者は、

ついに理解せずして終わる。


ことばでは、ことばは滅せぬ。

ことばは、ただの扉に過ぎぬ。


知るとは、知らぬことなり。

知らぬとは、無限なりけり。


2021年3月5日金曜日

不良設定

 

不良設定⇒本人の直感(一瞬)で解けない対象、と定義する。


解くことの 叶わぬひとの 姿見ゆ 宙[そら]に漂ふ 丸い石英に


不良設定は、本人と切り離して、捉えなくては、なりません。


2020年12月23日水曜日

無意識に届くもの


山本哲士先生の著書『聖諦の月あかり』、

発売前に購入して、

この本を一気に読んで寝たならば、山本哲士先生の夢を観た。

何の夢だったかは、起きてから暫くは覚えていたが、もう忘れてしまった。


つまり、わたしの無意識に届いたのだ。


夢、

中学生の頃、夢日記をつけていた。

その中で今でも忘れられないのは、恐竜の夢だ。

自宅の居間で寝そべっていたのだが、起き上がって窓を覗いたら、

ティラノサウルスが凄い目でこちらを覗いているのだ。

急いで隠れ再び窓を覗いたら、もう遥か遠くにいてホッとした覚えがある。


わたしが今までで、一番衝撃を受けたのは、小学生の時に映画館で観た、

『ジュラシックパーク』だ!

冒頭からいきなり恐竜が檻に閉じ込められていて、暴れ出す、あの衝撃といったらない。

車に乗った登場人物がティラノサウルスに襲われるシーンは凄かった!

わたしもまるでそこにいるかの様な感覚になり、

「動くなよ、絶対に動くなよ、動いたら許さないぞ」と、

心で叫んでいたと思ふ。

それから大分たってから、ある友人にジュラシックパークのサントラを貸したことがあるのだが、

全く感動しなかったようで、ショックを受けた。

まるで、自分の大切な”宝”がけなされた様で......

人それぞれ、好みは違うので、本当に自分がいいと思っているものは、

それが分かる人と共有しないと駄目なのだ。


わたしが『聖諦の月あかり』で特に共感・共鳴できるもの。


モーツァルト。

天才だと思ふ。彼のサウンドを毎日聴けば絶対に頭が良くなる。


ベラスケスのラス・メニーナス。

始めて知ったが、ここまで自分を客観できるには、わたしの感覚でいえば、人間の域を超えないと不可能。この絵にはインスピレーションが有る。


アメリカのテレビドラマ『フリンジ』。

アメリカのテレビドラマは大好きで、子供の頃は、『X-ファイル』を欠かさずに観た。

あとはなんといっても『アルフ』、最高に笑わさせてくれた。

『フリンジ』は途中から知ってハマり、始めてDVDまで買って観た作品だ。

女優のアナ・トーヴは昔から知っている人みたいな感覚を与えさせてくれる。

誰の台詞だったかは忘れたが、

「人の心には誰しもみな、忘れられない人というものが存在しているのだ」

と言ふ台詞を聞いて、凄まじい衝撃を受けたことを覚えている。


無意識に届くもの、

それは、長く残るもの、

それは、生きていると言ふことだと思ふ。


2020年10月22日木曜日

男と女の本質


男=支配するもの

女=共感するもの


ですから、当然、女は存在しないということになります。

そこには、共感するものしか、基本的にはいないのです。

”共感”が支配をするのです。


支配できるか支配できないかになるのが、男の原理です。

形だけでも、自分が支配していると思い込めれば、細かいことは気にしません。

単純なのです。


共感できるか共感できないかになるのが、女の原理です。

細かいことまで気にします。

複雑なのです。


男女の本質は、効率よく子孫を残す為の、人智を超えたシステムです。

生命を絶やすな!生命を連続させろ!という、

この世界の、メッセージなのかもしれません。


2020年10月7日水曜日

道理


道理とは、多くの客観的な目を持って、確かめること。


”千手観音菩薩”

これは、”道理”を表したものだ。


2020年9月18日金曜日

 

それまで、存在しなかったものが、生まれた瞬間に、心は誕生する。

この世界は、物質で出来ている。

(ということは、物質で出来ていない世界も確実に存在することになる)

心も例外ではない、

心も物質で出来ている。

つまり、人間の認識できる形で、存在しているということだ。

いずれにせよ、それ自体だけでは、

私の理屈でいえば、心は、存在できない。

不思議な感覚だが、、、

分かることがある以上、分からないことも同時に存在する。

この世界の、絶対的なルールそのひとつは、

それ自体では、成り立たないということだ。

それが、もっとも根源的なもののような気がしている。

ただ、それは言葉には還元できない。

言葉にした時点で、既にそれは真理とはかけ離れている。

わたしが、

あるいは、あなたが、

心から、本当に求めているものを、見つけられたとき、

(わたしは、物心ついた時から、一体なにを求めてきたのだろうか?)

(足りなくなった、己の一部を求めているのだろうか?)

心から、本当に求めているものを、見つけようとしている、

そんな自分を見つけられたとき、


わたしは、場所になるのかもしれない。


そして、

わたしを、客観的に観ている。

わたしを、生かす為、

わたしと上手く付き合っていく為に。

つまり、

わたしの意志は、宇宙の意志なのだ。

宇宙には、意志がある。

宇宙にも、文明がある。

それが、心だ。

そういうもの、だとしかいいようがない。


心は、

名詞で語れるものと、

形容詞でしか語れない部分とが、

一緒になっている。


心を言葉で、正確に表現することは、できない。

なぜなら、

物質を物質で捕らえることは、できないからだ。


2020年7月19日日曜日

それは、意味されてはいけない


意味されてしまったものを見せられた人は、ものを考えなくなる。


意味、それ自体に留めて置かなくてはならない。


山本哲士先生の本は、そんな本だ。

だから、とても難しい。

わたしは、まだまだ全く、山本哲士先生の本を読めていない。

意味に留めた本を読むことは、脳をめちゃくちゃに鍛えることなのだ。

読む、ということは自分の脳を、自分で鍛えるということなのだ。

ただ書いてあることを、「そうなのか、なるほど」という次元ではない。

読む、ということは、そこに書かれてあることを、自分の脳で、自分で、理解していく作業になる。

「なるほど」で読むのは、知っただけ。

まったく自分の脳が、鍛えられていない。変化なし。

これでは、変われようがない。

というか、意味に留めた本を書ける人が、滅多にいないのだと思う。

独自性をどれだけ高められるかに、かかっている。


ちなみに、今書いているこの記事は、意味されたものだ。

この記事を読んだところで、どうしようもない。

でも、何かの気づきにはなるかもしれないと、魂が囁いているのだ。

2020年7月18日土曜日

世界の基本的な数⇒2


人間の体の多くは、二つになっている。

一つになっているものは、おそらく、真ん中にあるか、真ん中にあったが故に、つながった。

このことから言えることは、

この世界の基本的な概念は、2だということ。

2がこの世界だ。


3より上の数は、人間がつくりだした概念だ。

1が分からない。

0はフェイク。

体の真ん中にあるパーツは、つながっている。

二つのものが近づくと、1へと形を変える。

だから、2と1は、もともと同じ。

形を変えただけで、本質は同じ。

1は、2の少し違うバージョン。


2がオリジナル。